MAGAZINE

マガジン

ap bank のあゆみVol.0

2001

9月11日にニューヨーク同時多発テロが起こる。

「911がなかったらap bankはおそらく発想にはなかったと思います。Mr.Childrenの「深海」や、YEN TOWN BANDでニューヨークのアナログレコーディングのチームと音楽活動をやっていたこともあって、その頃ニューヨークにも拠点を持っていました。2001年にニューヨーク同時多発テロが起こり、坂本さんはすぐに「非戦」という動きをやり出されましたが、その頃に坂本さんから「何か動きを」ということで連絡があったんです。環境のことは一つの例だったと思いますが、僕らの暮らしにも反映してくる、すでに来ているし、これからもっと来る可能性がある、というようなこと含めて環境及び自然環境、海洋プラスチック、森林破壊の問題など、そういうことのために何か活動をしていく。それがひいては平和とか自由とかというようなことに結びついていくっていうような思いだったと思いますね。」

2002

アーティストが環境や自然エネルギー促進のために何かできないだろうか」ということで生まれた「Artists’ Power(アーティスト・パワー)」というメーリングリストに、発起人の坂本龍一さんの誘いを受けて、小林武史、櫻井和寿が参加。その後、小林の呼びかけによって専門家や識者を講師とした環境問題に関する勉強会がスタートする。ここで自分たちのバンクを立ち上げる構想が生まれ、「Artists’ Power」と「Alternative Power」の「AP」をとって「ap bank」という名前が決定。

「坂本さんと「何をやったらいいか」ということを模索しだしたんですね。1年ぐらいメールでやりとりしてるうちに100人を超えるような「アーティスト・パワー」というメーリングリストになっていって。そこで「環境問題としてどういうことが起こっているのか』「お金の使われ方がどうなっているのか」ということをメールのやりとりの中でみんなが勉強していくんです。メールだけだとどうしても伝わらないと思って、それで僕の会社の会議室だとたくさん人が集まれるから、そこに集まりませんか、と提案しました。集まること自体を「勉強会」と呼ぶようになって。その段階でエネルギーのことっていうのは勉強の対象としてありましたね。」

2003

自然エネルギーをはじめとした環境プロジェクトに融資を行う非営利組織として、ap bankが設立される。

「僕はジョン・レノンとかロックのカウンターカルチャーの音楽を聞いて育ってきてるから、アート的な表現と社会、世界は繋がっているという思いはずっとあった。個の自由と機会の平等っていうものは矛盾するところあるけれど、その矛盾をかき分けて進化していくものじゃないかと思っていたところもあったんです。でも、あとでわかるけどレーガン、サッチャーの時代あたりから新自由主義っていうものが出てきて「自由にお金儲けしていいんだ」というところに戻って行った。それが今、デジタルプラットホームというところにつながって格差という、一握りの人間がお金を持つ傾向に拍車がかかってきた。その当時はそこまで意識があったわけじゃないけれど、背景にはそういうものがあって、ap bankというのは環境の方にまず向かって行ったということなんですね。」
「海外を見てると、成功したアーティストたちが身銭を切って勉強して行動に移すというスタンスがあって、音楽ってことじゃなくてね。音楽っていうと、すぐに「売名行為」っていうのがあるから最初全く考えてなかった。でもニューヨーク同時多発テロっていうのはそれぐらい衝撃的だったんですね。自分たちの内側で利益というものが生まれていったけど、そうではない「社会」というものに対しての動きを、欧米のそういう音楽を聞いて影響受けて育ってきて、それを形にするときなんじゃないかという思いが強かったですから。知識人として落とし込んでいくんじゃなくて、もう少し開いていくということ。「儲かってるからできるんだよ」と言われたことありましたけれど、やってみようと。それでもとにかく自分たちのお金の中で。勉強会のメンバーに未来バンクの田中優さんがいて。市民活動の一つの象徴的な活動の現れなんだけど、あえてそれをやってみるということになったんですね。それが「ap bank」。そしたら、それが朝日新聞の1面で取り上げられて、かなり注目されることになりました。」

2004

Bank Bandによる初のライブ「Bank with Gift of Music for ap bank(B.G.M.)」が「これからの未来のために、一生活者としてできることを」というメッセージのもとに1月と11月に行われる。10月20日にはBank Bandのカバーソングアルバム「沿志奏逢(そうしそうあい)」を限定30万枚でリリース。この年から、自然エネルギー促進、環境問題に取り組む団体、個人に向けて融資受付がスタート。

「ap bankだから、PUNKとBANKをかけて「Bank Band」という名前を作って、そのデビューアルバムを作ることを兼ねながらね。櫻井くんの方からは、「日本の中で埋もれてた名曲みたいなものを掘り起こしていく、そういうのが続いていく未来に対してすごく大事なことじゃないか」という話があって、それは納得するところがあって、そんな感じで出来ていったんですね。アルバムジャケットがウォーホールのパロディで、僕の家でベランダ栽培で作っていた「キュウリ」に花が咲いてるというのをジャケットにさせてもらって。あの時、30万枚限定だったんですが、その収益も僕らが音楽活動して受け取るということじゃない形で、こういうことが始まり得るというような思いでBank Bandもスタートしたんですね。」

2005

Bank Band初のオリジナル楽曲「to U」(作詞:櫻井和寿、作曲:小林武史)が3月に完成。TBS系列「筑紫哲也 NEW23」のテーマ曲となる。
7月16日―18日の日程で1回目となる「ap bank fes ’05」を静岡県掛川市のつま恋にて開催。

「その頃ap bankの動きに興味持ってくれてる人がいて、その中の1人がTBSの筑紫哲也さんだったんですね。筑紫さんの方から、何か楽曲をいただけないかという話があって。それで作ったのが「to U」という曲だったんです。最初はジングルみたいなものを作って。ニュース始まると「to U」を使ったジングルがかかって、最後には歌が流れてくる。僕と櫻井も一回2人でかしこまりながら番組に出たりもしました。僕が作った曲を櫻井に渡したら「一回これSalyuに歌ってみて欲しいんですけれど」って櫻井から電話がきて、うちのスタジオでSalyuに歌ってもらうことになるんですけど。僕はなんかスケジュールが入ってて、終わってスタジオに行こうと思ったらマネージャーが「やばいっす」って。「もうやばい、泣きそうっす」みたいなことを言ってて。そこから櫻井が遅れて来て。僕らも、こんなになんか充実する何かになるもんかね、っていうような感じで。最後の二番のサビが終わってからのところのパートっていうのはその時僕が作ったんですけれど。それでさらにちょっとスペクタクルみたいになっていくんだけど。音楽を作ってる経験の中でもなかなかないような2、3日の、何かが生まれていく、変わっていくというようなことだったんですね。」
「一回めのap bank fes、お客さんは初めてのイベントで、「環境問題?」「ap bank fesってなんだこの名前」「なんでBankがフェスなんだ」みたいなことなんですけれど。つま恋に行ったら「ありがとう」って言ってるお客さんがいっぱいいて。なんかこういうことがあるのを知ってたっていう感じに、なんか僕は思えたんですね。こういう活動があり得るってことを私たち知ってました、みたいな。そこに僕らは、当てはまることをやりに行ったというか。みんなは「どんなもんなんだ?」って怖々見てる感じではなくて。その感覚はすごく覚えてるんですよね。上から、何が正しいかってことを言ったわけじゃないんだけども、その時に言ってたのは、未来に対しての思いを、みんなその未来に対しての思いは、それぞれ違っていてもみんな持ってると思う。それを共振する、共鳴することができたら、ということだったんですね。いろんな人のカバーとか、いろんなものを通して。答えがそこにあるわけじゃないけれど、いろんなものを媒介しながら3日間が終わったんですね。初年度は出演者もそんなに多くなかったし、長時間のフェスではなかったけれど、でもすごい手応えでしたね。」

2006

7月15―17日の日程で「ap bank fes ’06」開催。
7月19日にap bankのコンセプトソングとして「to U」をリリース。カップリングとして小田和正さんの「生まれ来る子供たちのために」(作詞・作曲:小田和正)のカバーを収録。

2007

3回目となる「ap bank fes ’07」が台風の影響により初日7月14日と7月15日が中止、最終日7月16日のみ開催できたが、この日に新潟県中越沖地震が起きる。2日間の中止により残ってしまった冷凍カレー4,000食を持って翌7月17日に新潟県柏崎市に向かい炊き出しを行う。これがap bankとして初めての炊き出しとなる。9月にはBank Band2曲目のオリジナル曲「はるまついぶき」(作詞:櫻井和寿、作曲:小林武史)を配信限定でリリース。収益は、これを機に作られた「ap bank基金」に入れられ、自然災害時の支援金などに充て流ことになる。

「2007年のap bank fesの時に台風がきて、2日間が中止になって3日目だけ出来た。その3日目に新潟で中越沖地震が起こって、出店してたクルックキッチンで余った冷凍カレーを持って、初めて炊き出しに行ってみようとなったんですね。この時、現地に向かったことが、その後の僕らの動きにだいぶ影響してくる。義援金を作るために「はるまついぶき」という曲が出来たりとか、そういう循環みたいなものも生まれながら。」

2008

1月16日にBank Bandのオリジナルアルバム「沿志奏逢2」をリリース。
7月19―20日で「ap bank fes ’08」開催。

「Bank Bandはオリジナルも作るし、カバーもやるし、ap bank fesではハウスバンドもやる、みたいな、いろんなものの受け皿になる。ap bankのために集まってくれてるミュージシャンたちです。フェスやる限りは音楽も必要だから、可能な限りそこで賄えるようにメンバーも集めていって、ストリングス、ブラス、コーラスまで全部入れて考えたんですね。オリジナル曲は、ほぼ僕と櫻井で作ってきてますが、「こういうことを言いたい」、そしてそれが収益に、その収益が活動に繋がっていくっていうようなものが、今までも随所にあったというのはありますね。」

2009

7月15日にBank Bandオリジナル曲「奏逢 〜Bank Bandのテーマ〜」を配信リリース。
7月18―20日で「ap bank fes ’09」開催。

2010

6月30日にBank Bandオリジナルアルバム「沿志奏逢3」リリース。若手アーティストとの「レゾナンス(共鳴)」をテーマに、Mr.Childrenよりも新しい世代のアーティストの楽曲を中心にカバー、リ・アレンジした。
7月17日-19日で「ap bank fes ’10」開催。

2011

3月11日に発生した東日本大震災復興支援の活動として「ap bank Fund for Japan(apFJ)」を立ち上げ、募金活動、炊き出し、災害復興ボランティアの派遣など、さまざまな復興支援活動を行う。
2011年4月8日から9月9日までの間、宮城県石巻市の石巻専修大学にボランティアテントを設置。ここを拠点にしてで炊き出しや災害復興支援ボランティアの派遣を行う。
7月16日-18日には「ap bank fes ’11 Fund for Japan」を開催、全ての収益金はapFJを通じて東日本大震災の復興支援に充当する。

「東日本大震災が起こった時、それまでap bankをやっていたことでいろんな人たちとの繋がりができてましたし、ピースボートの人たちとか市民活動してる人たちの動きとかあったので。3月19日に車両通行証をもらえたということで山形のアルケッチァーノの奥田(政行)くんと鶴岡から向かって、朝の6時か7時ぐらいに南三陸町に着いて。そこから石巻と気仙沼をその日1日で炊き出しで回るんですけれど。あれはすごい経験でしたね。そこからapFJの資金で、東京から東北へバスを手配してボランティアを送るということをピースボートと共同でしばらく運営しました。ap bankの大きなテントを石巻の専修大学に設置させてもらって。その後、「石巻モデル」と言われるボランティアのあり方が生まれたんですけれど、あれは本当にいろんな偶然といろんな人たちの想いが重なった産物なんだと思うんですね」。

2012

「ap bank fes ’12 Fund for Japan」は7月14日-16日のつま恋に加えて、8月4日、5日に兵庫県淡路市の淡路島国営明石海峡公園、8月18日、10日に宮城県 国営みちのく杜の湖畔公園と3箇所での開催となる。
全ての収益金はapFJを通じて東日本大震災の復興支援に充当。

2014

平成26年8月豪雨で特に被害の大きかった広島市安佐南区にてピースボートボランティアセンターの協力のもと炊き出しを行う。

2016

4月14日に起きた熊本地震の支援として熊本市南区城南町を中心に炊き出しを行う。10月には熊本復興支援ライブ「MUSIC for ASO supported by ap bank」を阿蘇アスペクタにて開催。
7月29日-30日の日程で、Reborn-Art Festivalのプレイベントとして「Reborn-Art Festival × ap bank fes 2016」を宮城県 石巻港 雲雀野(ひばりの)地区にて開催。

「ap bankとしてどういう復興支援活動していくのかを考えてた時に、「東の食の会」を立ち上げて東北の生産者を助ける活動をやっているOisixの高島くんから「新潟で『大地の芸術祭』というのがあるから、ぜひ観に行って欲しい」という話があったんです。行ってみると、地域に現代アートを持ち込んでいるんですけれど、本当に入り込んで長い時間をかけて、その中で営みを作っているという実証例で。本当に細かいところまで入り込んでいて。フェスはどうしても数日間やって終わったら帰るということになるけど、それとは違うアプローチだなと思って。石巻からはどんどん人が出ていくけど仙台は人が集まっていて、という光と影みたいなことは感じてて。そういった中でこういう芸術祭のあり方を知ったことは、僕らがやってきた融資活動とか市民活動とはまた別の、一つの形だったんですね」。

2017

「Reborn-Art Festival 2017」を宮城県石巻市を中心に開催。ap bankは現地法人とともに主催となって運営に携わる。「Reborn-Art Festival」のプログラムの一つとして、宮城県 国営みちのく杜の湖畔公園にて「Reborn-Art Festival 2017 × ap bank fes」を開催。

「新潟の『大地の芸術祭』のようなことを、被災地の復興の中に取り込めないだろうかと思ったんですね。ap bankって名前も財力もあって、そういうところが芸術祭みたいなことをやろうとしてるらしいとなって。もちろん仲良く手を繋いでいった人たちもいっぱいいたんですけれど、地域でずっと頑張ってきた人たちもたくさんいるから。なかなかうまく伝わらないこともあって、大変なこともありました。行政の方々も、まずは仮設住宅から復興住宅に移すことが先決なので、ということでそこに邁進されてたということもありますし。2013年から動いていたんだけど、結局プレイベントができたのは2016年だから。いろんな意味で「命」ということ、自然をつかさどっている命というもののあり様に関してはいろんなことを学ばせてもらったし。なんでも出来ると思って思い上がってはダメだということは、その何年間かの営みの中で思いましたね。」

2018

つま恋では6年ぶりとなる「ap bank fes ’18」を開催。会場内に「平成30年7月豪雨」支援のための募金箱を設置。8月には「ap bank総社ボランティアベース」を設置し、倉敷市真備地区と総社市でのボランティア活動をサポートする。ここには「ap bank fes ’18」会場内での募金と、Bank Bandの楽曲「MESSAGE 〜メッセージ〜」の配信収益から費用とを捻出した。

2019

2回目となる「Reborn-Art Festival 2019」を宮城県石巻市を中心に開催。オープニングライブとして「転がる、詩」を石巻総合体育館にて行う。

2020

コロナ禍でのマスク不足を鑑み、感染リスクに向き合いながら仕事に尽力されている方々にマスクを寄付する「PROTECT to U」プロジェクトを立ち上げる。東日本大震災をきっかけにap bankでも支援を続けてきた「東北コットンプロジェクト」で収穫されたワタを使い全て国内で製造された上質な布マスクを7月までの間に総数39,336枚を寄付。

2021

コロナ禍の影響で困っているひとり親家庭を「食」で支援する「spoonプロジェクト」を立ち上げ、NPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむの「だいじょうぶだよ!プロジェクト」の食品支援に参加。
「Reborn-Art Festival 2021-22」が開催。プログラムの一つとして、震災復興記念として建てられた「まきあーとテラス大ホール」にて、小林武史、櫻井和寿に、ゲストとしてSalyu、四家卯大、沖 祥子を迎えた「ワン・バイ・ワン・プラス〜10年目のフレームより〜」を行う。
Bank Bandベストアルバム「沿志奏逢4」がリリース。
10月に初めての無観客+オンライン配信となった「ap bank fes ’21 online in KURKKU FIELDS」が開催された。

「何がなんでも「場」を作ることばかりが僕の仕事だと思ってるわけではないんですが、振り返ってみるとアルバムを作るっていうのは一つの場だし。「to U」という曲を作ることが筑紫哲也さんだとか、他の場と繋がっていくことになるとか。そういった「場」的なものと僕がやっているものとは繋がっているのかもな。音楽というものを生業としながらプロデュースをするということと、自分の中で音楽家の僕とプロデューサーの僕とタッグを組ませているみたいな感じがあって。僕の考え方は、多分に音楽人としての考え方なんですね。リズムとかハーモニーとか、緊張と緩和とか、起承転結とか。演奏することにしても何にしても、音楽をやって得たことで、それを応用しているっていう思いなんです。確かに何かを生み落とすとかそういった意味ではどれもこれも「場」なのかもしれないですね。
ap bankを作って「場」を作るっていうことで、何かが生まれてくる。ap bankは自分のためにやってることではないけれど、しばらくすると喜びとか手応えなどが、自分に返ってくるんです。それは有難いなと思いますけれど。ただ僕が始めていくことをよく思わないような人もいるだろうし、そういうことも注視しながら、ぜひ続けていきたいというものになっていってますから、やってきてよかったなという感じです。」

2023

「つま恋」で5年ぶりとなる「ap bank fes ’23 〜社会と暮らしと音楽と〜」を開催。

聞き手/兼田達矢
協力/ぴあ株式会社PMC編集部